みなさん、「タロとジロ」という犬のことを知っていますか?
タロとジロは、日本の南極観察隊に同行した22頭のカラフト犬の中にいた兄弟犬のことです。
1月14日は、このタロとジロの2匹の生存が確認された日です。
それにちなんで、1月14日を「タロとジロの日」に制定されたと言われて、別名「愛と勇気と希望の日」とも呼ばれています。
タロとジロが同行した南極観察隊や、どうやってタロとジロは生存できたのか、振り返ってみましょう。
南極観測隊とは
南極観察隊とは、国家事業として南極大陸の観測を目的とした組織のことです。
各省庁や大学・研究機関・民間企業などが連携して、研究や観測の活動を行っています。
南極観察隊は、Japanese Antarctic Research Expenditonの頭文字をとって「JARE」と省略して呼ばれることもあります。
最新の観測隊である2023年度の第65次南極観察隊は「JARE65」とも呼ばれます。
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タロとジロたちはナゼ置き去りにされたのか
1956年11月に総勢53名の南極観察隊第1次隊員が、タロとジロを含む22頭のカラフト犬を同行し、南極観察船「宗谷(そうや)」で南極へと出発しました。
翌年の12月、南極の昭和基地を拠点として活動を終えた第1次隊員と入れ替わって、越冬時期を担当する第2次越冬隊が宗谷で南極付近まで到着しました。
しかし、悪天候に見舞われて昭和基地へ辿り着く事ができなくなってしまいました。
アメリカ軍の支援もあり、昭和基地にいた第1次隊員はなんとか宗谷に戻る事ができましたが、同行したカラフト犬を昭和基地に残したままです。
次の越冬にもカラフト犬が必要になるとのことで、そのまま昭和基地に置いてくるよう命令されたのです。
様々な理由でカラフト犬15頭を、首輪をつなげて2ヶ月分の食糧を分配して置いてくることになりました。
その後も、第2次越冬隊の派遣は命令により断念せざるをえなくなり、派遣と同時に残された15頭のカラフト犬の救出も見送られることになりました。
このことを置き去りにしたと見なされ、観測隊は厳しい避難をあびることに。
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タロとジロの生存が確認された日が1月14日
1965年1月14日、第3次越冬隊をのせて宗谷で南極大陸へ向かった観察隊。
この時から宗谷では2機のヘリコプターも搭載できる様になり、そのうちの1機が登場していた隊員が2匹のカラフト犬の生存を確認しました。
その時に生き残っていたのがタロとジロです。
タロとジロ以外の13頭は、内7頭が首輪につながれたまま息絶え、内6頭は行方不明となっています。
その生存が確認された9年後の1968年、昭和基地のそばのとけた雪の中から行方不明となっていたカラフト犬の内の1頭「リキ」が亡骸として発見されました。
第1次観測隊に同行したカラフト犬のなかで最年長だったリキ、幼い頃のタロとジロのお世話をよくしていて、2匹にとって本当の親のような存在だった犬です。
このタロとジロの生存が確認された1月14日が「タロとジロの日」として制定されました。
また、この壮大な生存の物語から「愛と勇気と希望の日」とも呼ばれています。
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タロとジロが生存できた理由
第3次越冬隊がくるまで奇跡的に生存できたタロとジロですが、どうやって生存できたのでしょうか。
色々な説がありますが、
- 残ったカラフト犬を共食いした
- アザラシやペンギンといった南極大陸に生息する動物を食べていた
- 行方不明となっていたリキがエサを与えていた
特に亡骸として発見されたリキの存在が大きく、タロとジロの生存が確認された昭和基地のそばから発見されたことより、リキが2匹の世話をしていた説が有力ともされています。
今となっては、どの線が有力なのかは分かりませんが、タロトジロの2匹が生き延びたのは事実。
命の尊さとともに、生き延びた2匹の生きる強さを感じさせられた話です。
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映画や本でタロとジロの物語を見てみよう
深掘りしていくと感動的とも言える2匹のカラフト犬「タロとジロ」の生存の物語。
「南極物語」としても映画化されていることも有名です。
書籍としても出版されているので、1月14日のタロとジロの日にちなんで物語に浸ってみるのはいかがでしょうか。
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